創立者

佐藤 重遠
Jyuen Sato

佐藤重遠、幼名は傳次郎。1887(明治20)年に宮崎県東臼杵郡南方村大野(現在の延岡市中三輪町)の小作農の家に生まれる。貧窮の中両親を助け、その優秀な成績に「南方村に傳次郎あり」と言われた。素封家の知遇を得て、当時進学の難しかった旧制中学校へ進み、第一高等学校、東京帝国大学法科大学に進学。貧しい生活に苦労しつつも、多くの人に助けられながら学業を全うした。
このような経歴を通して「ヒトを助けたことは忘れてよいが、助けられたことは忘れてはいけない」という人生訓を得た。
1923(大正12)年、当時35歳の時、東京府豊多摩郡落合村下落合の高台(現在の新宿区中落合)に今日の目白学園の前身となる研心学園を創設。学校設置を発意した志は、勉学の意欲を持つ生徒への支援、また学問と産業との連携、さらに女性の自立のための教育の充実にあった。
また、学校経営に情熱を注ぐかたわら、1924(大正13)年から4期にわたり衆議院議員として国政にも携わり、大蔵常任委員長などを歴任した。
1963(昭和38)年、永年の教育功労により藍綬褒章を受賞。1964(昭和39)年に没するまで、教育に情熱と精魂を傾けた生涯であった。
「主師親の三徳を感銘し、自行化他の実践教育に永遠の生命を植付け、以って国恩の萬一に報いたいとは私の青年時代からの念願でありました」
佐藤重遠のこのことばに教育事業の意味が簡潔に述べられている。
享年76歳。正五位勲三等瑞宝章が贈られた。

18871964

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